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執着できるだけの能力を持つことはありがたいことだと思いますよ
ある日のマイソール終わり、相変わらず生意気な発言をいたしました。(笑)
こんにちは、ヨガジェネレーションのべーです。
ヨガ哲学を勉強していると「Vairagya|ヴァイラーギャ(離欲/無執着)」という言葉を聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。ともすれば、何かしらに執着してしまいがちな私たち。気づかないうちに抱いていることも多くあります。
その日のヨーコ・フジワラ先生のYouTubeがこちら。
ヨガ指導はアーサナ指導だけではない。その人の考えていることを共有する
ヨガって性格や考えていることが比例するんだよね。だから、練習の中でも、アーサナのテクニックだけじゃなくて、その人が思っていることや考えていることっていうのを話すんですよね。
そんな冒頭の言葉から始まった、今回の動画。自分の考えや性格の癖がヨガのプラクティスに現れるというのは、私も何度も書いてきました。
ヨーコ先生は、いつも必ず皆がどんなふうに練習と向き合っているのか、何を考えているのかをヒアリングし、アドバイスをしてくれます。それが、練習を行う上で大きなキーポイントとなってきます。おかげでマイソールクラスは毎回すごい人数に。
しかし、皆が夢中になって練習するヨガだからこそ、そのヨガが苦しみを生み出す「執着」となってしまうこともしばしば。
これからの課題。できなくなることとどう向き合っていくのか
できていたことができなくなる。できるようになりたいのに中々できない。
それは病気のせいかもしれないし、怪我のせいかもしれないし、身体能力の問題や精神的な問題かもしれない。年齢を重ねると、これまで出来ていたことができなくなる、ということもあるかもしれません。
どんな理由にせよ、心を込めているものだからこそ、それらが苦しみとなって目の前に現れてしまいます。
執着とは何か。手放す前に考えたいこと
執着:一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。
人は誰しもこの世に生を受けてから、今に至るまで様々な人と出会い、たくさんの体験をし、そして得たものが多くあります。それはどれも、皆さんの人生を彩る上では欠かせないものだったはず。
しかし、ヨガでは、物を所有することが苦悩に繋がる、と言われます。「執着は手放すべきもの」として認識されている方も多いのではないでしょうか。
でもさ、例えば自分が心を込めて、時間と労力をつぎ込んできたもの。私なんかはそうだよね。ヨガを仕事にまでしてしまっているから。でもね、執着できるものに出会ったってすごく有難いことだと思ったのね。振り返ったときにすごく思うのが、アシュタンガヨガっていうのが自分の体に合っていたし、その才能に恵まれた体を頂いたから、いろんなことができるようになった。
ヨーコ先生はこう話してくれました。
執着が苦悩を生み出すというのは紛れもない事実です。でも、手放す前に思い出してほしいのは、「執着するほどに喜びを与えてくれたものだった」ということです。それは、自分にしかわからない、幸せや喜びを与えてくれたものだったはずだから。
もちろん、その対象がお酒やギャンブル、薬や犯罪に関わるようなことは話が別。そして、何も過去の栄光にしがみつけと話しているわけではありません。ただ、執着の対象が苦悩を生み出すものとして認識されるのではなく、「有難いものだった」と思えたときに、本当の意味で手放すことができると思うのです。
執着を手放すことに執着しない
アーサナだけじゃなくて、愛する人やペット、家族もそうだなぁって思ったの。いなくなるって思うのは想像するだけで怖いけど、それだけ愛せたってことだと思うの。それってとてもありがたいことだと思うし、人間としていいことでもあるんだろうなって思いました。
最後にこんな風に話してくれているヨーコ先生。「執着は手放さなければならない悪」と考えすぎてしまう方には、ちょっとだけ知っておいてもらいたいなと思います。私たちは人間として生まれてきて、肉体や魂を与えられました。
この肉体を通してこれまで得てきたものには、感謝をし、でも、それに囚われずに生きていければ、私たちが今世を終えるときに、全てを手放せるのではないでしょうか。
そんなヨーコ先生の哲学的なお話がもっと聞けるのは、ヨーコ先生のRYT200指導者養成講座の中だけ。この秋から新たなコースがスタートします。
11月開講のRYT200、現在無料説明会が始まっているので、ぜひ一度ヨーコ先生に会いに来てほしいと思います。