ヨガを続けていると時折出会う「矛盾」。スートラとギータを読んでいるときなんかもそうでしたが、「ん?何どういうこと?なんか言ってることが違うよね?」という疑問を持つことがあります。(※本質的には同じです)
だって、ギータでは「全てはブラフマンだ、ブラフマンから生まれた」って言ってるのに、スートラでは「世界はプルシャとプラクリティで出来ている」って言ってる。どういうこと?って勉強し始めた頃は?がいっぱいでした。
私にとって「向上心」の捉え方もこういった矛盾の1つでした。
しかし、今日は朝一から、ヨーコ先生の言葉に納得。こんにちは!ヨガジェネレーションのべーです。
前置きが長くなりましたが、本日はヨーコ・フジワラ先生のRYT200の11日目。いよいよ折り返しです。
「アーサナがうまくなりたい」は執着なのか?
ヨーコ先生のRYT200は、毎回、早朝レッドクラスから始まります。最初はハーフプライマリーから練習していた皆さんも、現在はフルプライマリーへ。午前中に行われるアーサナの講義も、終盤へ入ってきています。
アシュタンガヨガではアーサナの練習は必須です。
だから、「もっとうまくなりたい」という思いを抱くのは当然と言えば当然のこと。しかも、師匠があのヨーコ・フジワラ。少しでもうまくなりたい。ヨーコ先生に近づきたいとなれば、「どうやったらできるようになるんだろう…!?」と毎日のように考えるのも無理ありません。
ポイントは「今」の自分に満足をしているかどうか
ヨガでは、ありのままでいい。そのままで十分。というフレーズある。じゃあ、諦めていいのか?かたや、アシュタンガヨガは上手くならないと、次のポーズがもらえなかったりする。
この気持ちは「向上心なのか、執着心なのか」
私の中でもいつも葛藤がある部分です。以前もお話しましたが、私の一番執着するものは、「集客」です。その数字をこのままでいいと思って諦めてしまえば、先生たちが悲しむ。
だからといって執着すればするほど、頭が固くなってしまって、良いアイディアが浮かんでこなかったり、周りの意見が聞けなくなってしまったりしてしまいます。
この矛盾点を納得させてくれたのが、ヨーコ先生の言葉でした。
自分が満たされてる、つまり、自分のプラクティスが満足いっている上でもっと向上したいと思う気持ちっていうのは、向上心になると思うのね。でも、うまくいかないこと、欠落しているところをどうにかして埋めようとしてもっとポーズをやって、もっとポーズをってやっても、いつまで経っても満たされないんだよね
つまり、ポイントは今現時点、今の自分にちゃんと満足しているかどうかというところ。
聞きながら、「なるほど…」と納得。
足りないものを補う練習は、満たされることがない
私たちは、足りないものを埋めようとして、もっともっとと欲しがることが多い。
例えば、集客にしても、「誰かに自分の存在を認めてほしいから」という自分の足りない部分を人で満たそうとしているのか、もしくは、純粋に「この先生に逢ってもらったら、生徒は必ず楽しい時間を過ごせるはず」と思って集客をするのか。
この差は、かなり大きいと思います。数字から離れて、そういう風に集客を見てみる。すると、はっとさせられます。
ヨーコ先生も、レッドクラスを始める前に、
ヨガに限らず、自分が満たされないまま、もっと金持ちになりたい、もっと有名になりたいって思いながら生きていると、どれだけお金を手に入れても結局幸せにはなれないと思うのね
とおっしゃっていましたが、本当にその通りですね。ヨガに限らず、全ての実生活において、この教えは活きていきます。
プラクティス方法、練習への向き合い方を考える
今日の練習は、アーサナだけじゃなくて、いつもの自分のプラクティスのやり方を変えてみて
というのがレッドクラス前のヨーコ先生の指示でした。
頭で考えちゃう人は、流してやってみる、とか、いつもあまり考えずに流しちゃう人は、もうちょっと考えてみる、とかね
違った角度から、攻める。今日のヨーコ先生の言葉にヒントを頂いた私。今、ちょっと悩んでいる仕事があって、完全に執着を手放せずに、行き詰まってたのですが目線を変えることの大切さを見失っていた気がします。
ヨガって本当に、実生活に活きるもの。ヨガはもちろんのこと、ヨーコ先生が教えてくれることは、きっと実生活に置き換えてみても必ず役立つことがあるはずです。土日は毎回6時過ぎには出社するのですが、それでも1日があっという間に過ぎていきます。気づくと夜になってる(笑)
幸せな時間だな~と思いながら、皆さんの様子を見させてもらっています。