ヨガ哲学は宝島への地図!?

どうしてヨガに哲学が必要なんですか?

なんで皆、ヨガ哲学を勉強するんですか?

ヨガジェネレーションに入社した当時、あの有名なヨガスートラもバガヴァットギータも知らず、いきなりヨガ哲学を担当した私が最初に先生にした質問です。

こんにちは、ヨガジェネレーションのべーです。

今思えば、こんな奴がよくヨガ哲学の1年コースを担当してたな…と苦笑いではありますが当時のブログ発見。(こちらから:今はもうちょっとまともなことが書けるようになったと思う。)今週のヨーコ・フジワラ先生のRYT200の哲学の時間は、「なんで哲学を勉強するのか」というお話から、ヨーコ先生の講義が始まっていました。

開くと眠くなるヨガの経典。そもそもヨガ哲学って何?

私の最初のヨガ哲学本は、この1冊でした。まぁ、当時は文字の羅列でしかなく、頭に内容が入ってこない(笑)

それにしても、ヨガ哲学って難しいですよね。カタカナ多いし、何書いてあるのかわかんないし、眠れない夜に読んだら、睡眠導入剤より効くんじゃないか…

初めて、ヨガスートラを読んだとき、私はそう思いました。(笑)

しかしながら、RYT200には必ずヨガ哲学を学ぶ時間が入っています。それはどうしてなのでしょうか?もちろん、ヨガアライアンスの規定に入っているからというのも理由の1つですが、ヨーコ先生はこんな風にお話をしてくれました。

ヨガ哲学は地図のようなもの。ヨガを行う道筋が書かれている

私も今日、哲学の講座を受けていたんだけど(※ヨーコ先生ご自身も現在勉強をされています。)なんで、哲学って勉強するの?っていうことを今日の講義の中でも議論されていたんだけど。これは私の意見ね。哲学は全体象なの。ヨガっていうのは実行する勉強なのよ。でも『どこに向かっているのか』がわからないと迷ってしまうわけじゃない?

とヨーコ先生。そう、ゴールがどこなのか、そもそもヨガは何のために行い、そしてどうやって、その「ゴール」に辿りつくのかを教えてくれるのがヨガ哲学。

ヨガは良いものです。もちろん、ヨガ哲学を知らなくても、健康にもなるし、美容にもいいし、運動不足の解消にもなる。だけど、それはインドで伝わってきた本来のヨガの目的ではありません。それはその道の途中で得られる副産物でしかないのです。

宝島に行きたいけれど、マップがないとたどり着けないじゃん?だからその指標として勉強したらいいと思うよ

とヨーコ先生は教えてくれました。

言葉には限界がある。体験することの重要性

ヨガ哲学を教えてくれるヨーコ・フジワラ

言葉って、限界があるよね。伝えられることにも、ギリギリのところまでは言葉で表せるけど、経験してみないと、わからないこともあるよね。例えば、「バナナの味ってどんな味?」って聞かれたら、何て答える?「甘くて、ちょっとねっとりしてて…」一生懸命言っても想像することかできないでしょ。でもバナナを一度食べたら、「あ、そういうことか!」ってわかるよね。だから、ヨガ哲学だけじゃ、サマディ(ヨガの最終目的地)には辿りつけないの。

私も、よく昔同じ話を聞かされました。私に教えてくれた先生はいつも「私は飴を食べたことがありません。べーさん、私に飴の味を教えて」と言って質問してきてました。(質問っていうよりもいつも詰問に近かった。(笑))

つまり、頭で考える知識だけではなく、それに伴う体験と経験が必要だということです。ヨーコ先生は、とても言葉を使うのが上手いけれど、それでも体験に勝る言葉はないってことですね。(ヨーコ先生が言うと説得力がある)

知識と経験。ヨガにはどちらも必要

知識と経験どちらから学ぶべきか。これには色々な意見があると思います。ヨーコ先生は

プラクティス(経験、体験)が先だと思う

とお話されていました。でも、「どちらも必要」であるのは間違いありません。

アーサナが主流になっている現代社会においては、アーサナだけがヨガではないことを伝えてほしいと思います。ヨガ哲学書ばかりを読んでいる方には、体験の重要性を教えてあげてほしいと思います。

その人に必要なことを伝えていけるといいですよね。むしろこれすらも、経験の一部なのかもしれません。(出会うものの順番にもよりますよね)

ヨガ哲学は、ヨガの中でも特にグルの存在が重要となります。これが地図なのですから、その地図を訳してくれる人が重要だということはよくわかりますよね。

いよいよヨーコ先生のRYT200も折り返しになりました。

来週は19期生の皆とお茶会がある予定ですので、いろんな楽しい話が聞けそうで楽しみなのです!

ヨーコ先生のRYT200は、次回は平日コースの開催となります。随時説明会も開催していますので、ぜひ、興味のある方はご参加してみてくださいね!