「できれば、この仕事をやらずに済ませたい」「面倒なことが起こりそうだから、言わずにいよう」「これは明日やろうかな~」
日常生活、仕事や人間関係などあらゆる場面において「できればその現実から目を背けたい」なんて思いが脳裏をかすめること、ありますよね。なんにせよ、私はすぐにそう思ってしまう人です。
こんにちは、ヨガジェネレーションのべーです。
現在、ヨーコ・フジワラ先生のRYT200の2日目。パソコンを前に、皆さんの講義を一緒に視聴しております。こうやって講義の様子をレポートする仕事は、好きだからどんどんやりたい。しかし、そうじゃない仕事もあるわけで…そんな仕事を横目に(締め切り間近のくせに)これを書いています。
しかし。途中、私自身うっ…となる、耳の痛いお話がありましたので、皆さんにもお伝えしたいと思います。
基本は大切!基礎がすべての土台となる
今日の午前中は、「アシュタンガヨガの基本」のお話がありました。
『基本って初心者が勉強することでしょ?』と思うでしょ?だけど、この基本ルールがすごく大切。基本的な土台さえしっかりしていれば、その上になんでも立てられるから
とヨーコ先生。何事も基本が大切。アシュタンガヨガといえば、難しいアーサナの数々。ヨーコ先生の写真や動画を見ていても、「こんなの人間業じゃない!」と思う人も多いはず。しかし、そんな複雑且つ難易度の高いアーサナを美しく行う、ヨーコ先生の言葉だからこそ、重みがあります。
何でもそうでしょ?基本概念が理解できれば、応用が利くんだよね
基本って面白くない…と思いがちですが、その積み重ねが難しい仕事をする上でも必要なんですよ(と今、まさに自分に言い聞かせています。基本に立ち返れ、私…。)
ドリシュティは目で「見る」ものではない
そして、そのアシュタンガヨガの基本の1つである、ドリシュティ。アシュタンガヨガでは1つひとつのポーズに視点が決まっています。しかし、このドリシュティ、ただそこに目線を向ければいいというわけではありません。
ドリシュティは目で『見る』ものじゃないの。五感は外に向くものだけど、意識は内側、自分の呼吸だったり、マインドだったりに向けたい。例えば手の指のドリシュティで、『あ、爪伸びてるから今夜切らなきゃ』っていうのは、目が手の指を「見てる」じゃない?そうではなくて、目は開いているんだけど、視線は休ませるだけ
私たちは、普段自分の外側からの影響をたくさん受けています。中でも情報の90%は視覚から得ていると言われるほど。それほどの威力をもつ視覚という感覚を休めるのは、言葉で書くほど簡単なことではありません。
実際私はヨガのクラスを受けることは多いですが、やはりほとんどが仕事なので、周りの生徒の様子を観察してしまっていることが多い。まったくヨガになっていません。(もちろんプライベートで受けるときは別です。)だからこそ、毎日のプラクティスが必要なんですね。
アシュタンガヨガは現実的なプラクティスである
ドリシュティのお話にはこんな続きもありました。
私がアシュタンガヨガを好きな理由はね、すごく現実的なプラクティスだから。だって、現実も一緒じゃない?『あーもう、やだ!見たくない!』って言ったところで、問題は解決しないでしょ?しかも、アシュタンガって、ポーズの順番が決まっているでしょ?『えーバランスのポーズやりたくないけど、シッティングのポーズやりたい』とかとかできないよね?嫌なことも毎日続けなければならない。嫌なことも毎日続けることで、それが「しょうがないか」ってだんだん、強くなっていくよね。
これが、本日、ぐさっと来た一言。そうなんですよ。現実って、目を背けたところで、問題を先送りにしたところで、何にも解決しないどころか、人は成長しないんです。この言葉を胸に、今日も締め切り間近の仕事と格闘しようではないかと心に決めました。(こっち先に書いちゃったけど)
厳しい。だからこそ、どんな困難にも立ち向かう精神が身につく
アシュタンガヨガは外側がどんな状況であっても、静かに自分の内側を見つめることができる術を身に付けることができます。周りの騒がしさに流されることが少なくなっていく。
しかし、自分の内側に目を向けることができたとしても、内側にも色々あります。(笑)
その内側の静けさを手に入れたとき初めて、サマーディへの扉が開かれるのかもしれません。
RYT200もあっという間に2日目が終わりました。明日から皆さんは日常へと戻っていきます。2日間でヨーコ先生が話してくれたこと、自分自身がプラクティスを通じて気づいたことを胸に、どんな1週間を過ごしていくのでしょうか。私も何か1つ心に決めて、来週のトレーニング3日目を迎えようと思っています。
来週もまた、お楽しみに!