のどの奥から奏でられるウジャイ呼吸音、まるで無重力のようなジャンプバック、鍛え上げられた身体が醸し出す、凛とした空気感と誰もが息をのむほどの美しいアーサナの数々。
それが、ヨーコ・フジワラの「美しすぎる太陽礼拝」だ。
このどれが欠けてもあのアートとも言える太陽礼拝にはならない。
今日はそんなヨーコ・フジワラの日々のプラクティスへの想いを語ってもらった。インタビューをし始めること1時間。記事は3本にも及ぶ超大作となった。
美しすぎる太陽礼拝の人、ヨーコ・フジワラ
ヨーコさんといえば、「美しすぎる太陽礼拝の人」。もはや代名詞ですよね。とにかく誰よりもプラクティスをしているストイックなイメージですが、そのプラクティスへのこだわりを教えてください!
太陽礼拝も、前屈・後屈も、逆転も…講座の中では全部、バンダの話をしているのね。元を正せば全部バンダの話をしている。私からフィジカル面の話を聞いたら、全部バンダの話になると思うんだけど…いいのかな?
プラクティスのこだわりは「今日はこれ」1つのテーマを持つこと
もしよろしければバンダがわからない人にもわかるお話を…。
(笑)そうね、どこかの講座で話したのですが、私はヨガを教えるときに、いろんな説明をします。呼吸の仕方や手足の使い方など、一度に皆さんにいろんなことを伝えているのですが、それを一度にやろうとすると皆、こんがらがってしまう。だから必ず、
「ひとつずつやってごらん」
と言っていますね。フィジカルなプラクティスのこだわりの1つは、「テーマを1つ必ず持つ」ということです。
自分のプラクティスでもですか?
もちろん!私も自分のプラクティスのときは、毎回必ず1つのテーマを定めています。
例えば、「今日は、ウジャイ呼吸の音をきれいに出そう」でもいいんです。私自身、まだ初心者だったころは、音をどうやったらきれいに出せるのかそればかりを考えながら、ポーズをやっていました。
前屈のときはここに力を入れてしまうとうまく音が出ないんだな、とか後屈のときに頭を倒し過ぎると音が出ないんだなとか、音だけにこだわってプラクティスをしていました。
それなら、皆ができることですね!
一度にいろんなことを言われると皆わけがわからなくなってしまうからね。どんなに小さいことでもいいから、1つテーマを持つことは大切。それから、私の練習の方法はとにかく細かい。
ヨガを教える以上に練習が好き!
細かいとは?
例えば、肩を少しだけ下げるとか胸を広げるとか、そんなこと。テーマがすごく細かい。そんなことを1人で練習してるの。膝頭をちょっと内側、外側とかね。それを全てのポーズでやってる。
私むちゃくちゃ教えるのうまいのよ。でも、それって普段、そういう細かいこと、小さいことを1つ1つやってるから、説明の引き出しがものすごく多くなっているからなんですよね。
例えば、バンダって「会陰筋締めてください」じゃないんですよ。「おなかひっこめてください」で終わりじゃない。
私は「ウエストの横の部分を長くしてごらん。」って言うんだけど、これでウディヤナバンダが入るのね。
ウエスト部分を長くしてアーサナをすると、前屈もいくし、後屈もいくし、ねじりも逆転もいける。だからこれはウディヤナバンダだなってわかるんだけど、ただ「ウディヤナバンダ入れて」って言ってもわからないでしょう?
ウエスト長くしてごらんって聞いたらできるじゃない?無理に難しい言葉で教えなくてもわかればいいじゃないって思わない?
確かに!それなら、ウディヤナバンダがわからない人でもわかりやすいです。ちなみに、ヨーコさんって練習したくない日ってあるんですか?
ほっとんどないですね。もちろん、たまにあるけれど、ないに等しい。だってこんな細かいこと1人でやってるんですよ?よく言うんだけど、私、ヨガを教えるのは大好きだけど、自分の練習が何より好きだから!
研究のような練習の日々
どうしてそんなに練習が好きなんですか?人って、練習より結果の方が好きだと思うんです。
結果じゃないんだよね。私の場合、結果は勝手についてくる。美しい太陽礼拝ができる、とかすごいポーズができるとか、そういうのは、あとづけ。結果を求めて練習してるんじゃなくて、さっき話した小さいことを研究してるのが好きなの。
今日親指じゃなくて小指を押したらどうなるんだろう?とか、あ、明日このポーズで練習してみたい!って思っちゃう。
あれ?何で今日首痛いんだっけ?って思ったら、あ、今日あのポーズでここに力入れたからだ!とかこっちに力入れてこうなったんだから、こっちだったらどうなんだろう、もう、全部で検証してみたい!ってなるの。
おたくなんですよ、私。(笑)
美しすぎる太陽礼拝。
しかし、それはどうやら、細かすぎる練習の末の結果にすぎない。と淡々と語ったヨーコ・フジワラ。人は結果にばかり気をとられ、目の前にあることを「楽しむ」ことを忘れてしまいがちだ。
プラクティスも「きれいなアーサナをとること」が目的になってしまうあまり、できないと練習が苦痛となってしまう。できない自分がだめだと思ってしまう。
彼女は、「何よりもその瞬間、瞬間を楽しむことが大切。楽しんだ結果があの美しいアーサナの数々なのだ。」と教えてくれているように感じた。
とはいえ、そのプラクティスはたくさんの怪我と葛藤の先にあったものだったと彼女は語る。次の章では、ヨーコ・フジワラが話す、怪我。そしてアーサナの先にあるプラクティスについて。アシュタンガヨガという強度が高く、フィジカル面へフォーカスすることの多いヨガを行う、ヨーコ・フジワラならではの見解を聞くことができた。